LOGIN「カレン様、こちらの色はいかがですか?」
「ジャスミン、それにする。
ドレスがとってもかわいい。」「そうですね。
カレン様は桃色がお好きですね。」窓辺から差し込む午後の日差しが、淡く床に模様を落として、その光の中でカレンとジャスミンが、肩を寄せ合い紙いっぱいに色を重ねていた。
部屋の奥の椅子に腰かけたセオドアは、その穏やかな光景を静かに見守っていた。
僕の目に映るのは、無邪気に笑う娘と、それを包み込むような優しい微笑みの女性。ジャスミンがこの屋敷に来てから、もうしばらくの時が経ったように感じるほど、カレンはすぐに彼女に懐き、今では朝から晩まで一緒に過ごしている。
以前はポーラ一人で世話をしていたが、あの頃のカレンはどこか怯えたように静かで、笑うことも少なかった。
それが今では、クレヨンを握る小さな指先まで、生き生きとしている。ジュリアを失ってから、ブライトン邸はいつも重苦しい静けさに包まれていた。
毒への恐怖が、長く邸を支配していて、警備も固くせざるをえなかったからである。その上、働く者には信頼できる貴族の紹介が不可欠だから、人の出入りがほぼなく、最低限の人数のみで、維持されていた。
けれども、ジャスミンが来てから、その空気に少しずつ色が戻っているようだ。
彼女は若い女性だが、母のようにとても優しい目でカレンを見ている。普通なら、この邸の異様な厳重さを息苦しく感じ、すぐに辞めたいと申し出るが、彼女は違うようだ。
ジュリアが亡くなってからというもの、ポーラは休暇を一度もとっていなかったが、ジャスミンが毒味役をすると申し出たおかげでポーラは久しぶりに休暇を取っている。
もしジュリアが生きていたら、こうやってカレンと遊んでいたのだろうか?
二人の姿は微笑ましいけれど、カレンのために、絶対に気は抜けない。
あらを探すように見ていると、ジャスミンの所作が普通の民とは違って上品なのが気にかかる。王宮で働けるほどの所作ができているのは、何故だろう?
若い女性でこれができるのは、貴族しかいないと思っていたが、そうではないらしい。僕は二人のやり取りを聞きながら、たまらず尋ねた。
「ジャスミン、エスター子爵夫人以外の貴族の邸で働いていたことがあるかい?」
「いいえ、エスター子爵夫人のところだけです。
その前は、コーツ王国でお店の売り子をしたり、子守りをしたり色々です。」「そうか。
その立ち振る舞いは、エスター子爵夫人だけに教わったのか?」「はい、夫人はとても優しく、礼儀を丁寧に教えてくださいました。」
「もう、パパ。
ジャスミンとお話し過ぎ。 今、私と遊んでるの。」「ああ、そうだったね。
でも、パパも混ぜてほしいんだ。」「わかったわ。
パパはここに素敵な王子様を書いて。」「わかった。
ここにだね。」僕が真剣な顔で筆を動かすと、カレンが覗き込み、ぷっと吹き出した。
「パパ、それ全然王子様じゃないわ!
動物みたい。 ねえ、ジャスミンもそう思うでしょう?」二人が顔を見合わせ、くすくす笑う。
「そうですね。
熊でしょうか?」「二人共酷いな。
誰もが憧れる王子様を書いたつもりなのに。」「全然見えなーい。」
「そうか?
変だな。」カレンの笑顔が、嬉しくなる。
僕もつられて肩を揺らし、久しぶりに心の底から笑った。この子がこんなに自然体で過ごすのは、もしかしたら初めてかもしれない。
その光景があまりに温かくて、僕は胸がじんとした。以前は固い表情のポーラと二人きりで、静かに過ごしていたが、ジャスミンが現れてから、カレンはよく笑うようになった。
ジャスミンは笑顔がたえず明るく、前向きだ。
それが、カレンに伝わって、この邸に少しずつ変化をもたらした。だからと言って、ジャスミンをまだ信じきっていないのもあり、カレンと過ごす時は二人きりにはさせず、マーカスかイグナスを必ずつけているが、彼女は彼らからの評価も高い。
カレンの気持ちを優しく受け止め、甘やかすが、寝る時間などしっかり守らせるところはきちんとしつけているそうで、早くもマーカス達が高く評価している。
ジャスミンの存在はナニーというより、むしろ母親のようだった。
それを感じるのか、カレンも思う存分甘えて、夜遅くまで名残惜しそうに袖を掴んで離さない。そんなカレンの姿を見かねたワグナーの提案で、彼女の部屋は使用人部屋から、娘の部屋の隣の客室に変更になった。
「セオドア様、こちらでしたか?
ターベル公爵様がいらしております。」カレンの部屋にワグナーが迎えに来た。
「わかった、今行く。」
応接室に向かうと、長年の友人であるターベル公爵が待っていた。
「やあ、セオドア。」
「急にどうしたんだ?」
「いや、最近めっきりクラブに顔を出さないから、どうしてるかと思ってな。」
「変わりないよ。」
「いや、違うな、顔つきが穏やかになってる。
女でもできたか?」「まさか、僕の事情知ってるだろう?」
「わかってるよ。
だから、余計に気になるんだ。」「何もないよ。」
「そうかな、俺の勘は女並みに当たるんだよ。
何か変わったことを言ってみろ。」「特にないけどな。
新しいナニーが来たくらいかな。」「女だろ?」
「女って、ナニーだから、そういう目で見ていないよ。
むしろイメージはカレンの母親みたいな人なんだ。」「なるほどな。
今度会わせてみろよ。」「変なことに興味を持つやつだな。
ナニーなんだから、いつでも見ていいよ。」「わかった。
今連れて来い。」「は?
面倒だな。」「ちょっと見るだけだよ。」
「わかった。」
控えているワグナーに促すと、カレンとジャスミンが手を繋いで、応接室に入って来た。
「ターベル公爵様、ご機嫌よう。」
カレンがカーテシーする横で、ジャスミンが頭を下げる。
「セオドア様、お呼びとのことですが。」
「ああ、こちらはターベル公爵だよ。
ジャスミンに会いたいそうだ。」「そうでしたか、初めまして、ターベル公爵様。
よろしくお願いします。」「君が新しいナニーか、もういいよ。
戻っていい。」「はい、わかりました。」
カレンとジャスミンは顔を見合わせた後、再び手を繋ぎ、部屋を後にした。
二人を見送ると、ターベル公爵が意味ありげに笑った。
「もう、あれ、完全に親子だな。
セオドアも思ってるんだろ?」「確かにそう見えるな。」
僕は少し息を吐き、視線を窓に向けた。
ジャスミンはナニーらしく簡素なワンピース姿だけど、カレンと向き合った時の二人の視線は、何故か目に見えない繋がりを感じさせた。ジャスミンとセオドア様は二人の意志で、再び結婚することをカレンに告げた。「おめでとう。 ジャスミン、お父様。」 カレンはにこやかに微笑みながらも、どこか誇らしげな表情を浮かべている。「嫌ではない?」 少しだけ不安に思い、尋ねる。「まさか、お父様がジャスミンがお母様だと教えてくれた時から、こうなることはわかっていたわ。 だってお父様ったら、ジャスミンにべったりだもの。」「そうかしら?」 照れ笑いする私に、カレンはいたずらっぽく目を細めた。「そうよ。 お父様の視線の先には、いつもジャスミンがいるの。 気づいていないのはきっと、ジャスミンだけだと思うわ。」「えっ、そうなの?」「そうよ。 だからこそ、お父様は私にジャスミンがお母様だって、伝えたんだと思うわ。」「…そうなの?」「ジャスミンってそういうことに鈍感なのね。 誰の目から見ても明らかなのに。」「まあ、カレンがそんなことを言うだなんて。」 「私はジャスミンより恋愛を理解しているつもりよ。」「そうなのね。」 私はふっと笑いながら、カレンの横顔を見つめた。 いつまでも子供だと思っていたカレンはもう一人の女性として成長しているのね。 そう思うと、胸の奥が温かくなる。 もしかして私は、魔法ばかりの人生だったから、こういう感情に疎かったのかもしれない。 ある日の午後、庭園でカレンがユーリーに魔法の指導を受けていた。 風が花々の間を通り抜け、柔らかい午後の日差しが照らしている。 キャサリンがセオドア様と並んでベンチに座り、カレン達を眺めていると、指導終わりのユーリーが歩み寄って来た。「前から思っていたけど、もしかしてジュリア様?」「えっ? どうしてわかったの?」 私は驚いて目を瞬く。「だって、ブライトン侯爵様の眼差しが、ジュリア様に向けていたものと全く同じなんですもの。」「そうかしら。」 そう言われて私達二人を見ても、セオドア様が少しだけ私のそばにいて、手を取っている以外は特に変わりない気がするけれど、周りにはそう見えないらしい。 私が頬に手を当てて微笑むと、ユーリーは肩をすくめながら言った。「ブライトン侯爵様がこんなふうに女性を見つめるのは、ジュリア様である証拠だわ。」「そうなの? そんなに違うのかしら。」「わかってないのね。 ジュリア様がい
暖かな蝋燭の灯りが静かに二人を包み込み、ティーカップの中の香り立つお茶が、心をそっと癒してくれる。 それでも、セオドア様の想いを知るほどに、私の胸の奥に、熱いものが込み上げ、言葉を奪う。 これまで何度も向き合い損ねた記憶が、まるで波のように押し寄せては、私に責めたてる。 どうして、あの頃は彼の優しさに気づけなかったのだろう。 大魔法使いの役割なんて、知らない人が多数だし、それをいちいち理解してほしいとも、思っていなかった。 けれど、セオドア様はすべて知ってなお、支えてくれていたのだ。 あの時の私は、そんなことに気づく余裕も時間もなかった。 こんなに大切に思ってくれる人と向き合わず、仕事と不貞を言い訳に、セオドア様を避けていた。 欲しかった愛は、すぐ目の前にあったのだ。 私を抱きしめるように、ずっと。 そっと彼の腕に触れると、あたたかなぬくもりが手のひらに広がり、胸の奥から涙が込み上げた。「…ごめんなさい、セオドア様のことをもっと信じて、話し合う時間を作れば良かった。」 震える声で告げると、彼は静かに微笑んだ。「もう過ぎたことは、悔やまなくていい。 君はいつだって大魔法使いとして、立派にその役割を果たしていたんだから。 君の方こそ、恨まれる原因を作ってしまった僕を許せるかい?」「ええ、あなたが悪くないのはわかったわ。 まさかこんなことになるなんて、誰にも予想できなかったのだから。」「ありがとう。 二度目の人生も僕といてくれるかい? 今度こそ、君を愛していると余すところなく伝えたいんだ。」「ええ、嬉しいわ。」「良かった。 なるべくわかりやすく伝えるように努力するよ。 だって僕は、共に過ごせるだけで、十分幸せだから。」 その声は、長い孤独を溶かすように優しかった。 セオドア様がそっと私の髪を撫で、額に唇を落とす。「好きだよ。 どんな姿であっても。」 その瞳は言葉よりも甘く、真実だけを私に囁いていた。 私は震える声で彼を見上げる。「私、もう一度あなたの隣で生きたい。 カレンも一緒に。」「もちろんだよ」 セオドア様は柔らかく笑い、私の手を包み込んだ。「君だと気づいた時から、僕はそのつもりだった。 ただ、カレンは多感な年頃だから、見た目が若い君に夢中になっている僕を、彼女がどう思うか不安だったんだ。」
夜の静寂に包まれた部屋で、二人だけの夜が深けていく。 お茶で一息つくと、セオドア様はジャスミンを見つめて話し出した。「僕は元々ブライトン侯爵家の当主になる予定ではなかったんだ。 上に兄がいてね、何も期待されず、物心ついた頃から騎士として国境の警備をしていたよ。」 そう話す彼の目には、遠い過去が映っているようだった。「王国内は結界で守られているけど、外側には常に魔獣がいて、綻びから内側に侵入しようと絶えず狙っているのは知っているよね。」「ええ。」「いざその隙間から魔獣が侵入すると、僕達騎士は懸命にそれを食い止める。 けれど、その中で犠牲になる者もいて、魔法使い達が現れて結界を張り終えるまで、必死の思いで戦って持ち堪えようとしていた。」 彼は拳を握りしめ、その横顔は若き日の痛みをまだ宿している。「どんなに頑張っても仲間は倒れていく、何度も挫けそうになっていて、僕達にとって魔法使いは救世主のような存在だった。 その中でも、大魔法使いであるジュリアの力は、常に僕達の希望なんだよ。」「じゃあ、私と国境で会ったことがあるの?」「ああ、君には使命があり、僕達騎士などには目もくれないけれど、僕は何度も君に助けられている。」「そうなのね。 知らなかったわ。」 ジャスミンが目を伏せると、セオドア様は微笑んだ。「ああ、そうだろうね。 ジュリアの仕事は忙しく、あちこちに転移して飛び回っていると聞いていた。」「ええ、次から次へと結界の綻びが見つかるから、張り終えるとすぐに次の場所に行き、騎士の方とお話しようとも思ったことはなかったわ。」「ああ、それはわかっているつもりだよ。 だから、振り返ってほしいなんて、一度も思わずに気がつけば、いつの間にか君を好きになっていた。 堂々と魔法で僕達を救う姿は、颯爽としていて、希望そのものだったんだ。」 蝋燭の灯が小さく揺れる。「ある時、魔法使い達が君にも後継が必要だと話しているのを聞いてね。 貴族であることが条件だと知って、僕はすぐに名乗り出たんだ。 大魔法使いである君を支えたいと思ったんだ。 けれどそのことで、保守派や王族が騒ぎ出した。 僕はただ君に憧れ、君を支えて生きていきたいと思っただけなのに。」 私は小さく息を呑む。「君の能力にどれほど助けられて生きているか、王都で守られて暮らす者達は
別邸には、ワグナーの拘束やローレッタを呼び寄せた記憶など、良い思い出がほとんどなかったので、ジャスミン達は早々にブライトン邸へ戻っていた。 庭園には風がそよぎ、陽射しがお茶の表面にきらめいている。 テーブルを囲み、私とセオドア様、カレンでお茶を飲んでいると、セオドア様がティーカップを置き、少し真剣な声で告げた。「カレン、君に話しておきたいことがあるんだ。」「何、お父様?」 カレンは不思議そうに首を傾げる。 セオドア様は一度私を見て、静かに息をついた。「驚くと思うけれど、ジャスミンのことで、カレンにも真実を知ってもらいたい。」「わかったわ。」「ジャスミンは、転生したジュリアなんだ。 つまり、君のお母さんだよ。」「えっ?」 カレンは目を見開いた。「驚くのも無理はない。 けれど、ジュリアは大魔法使いだっただろう? 前世で命の危機に瀕したとき、転生魔法を使って生まれ変わることにしたんだ。 だが転生する時に、魔力をすべて使い果たしてしまったから、もう魔法は使えない。」「そんな…本当なの、ジャスミン?」「ええ、本当よ。 命の危険があったから、すべて解決するまで話せなかった。 でも、セオドア様とポーラには気づかれてしまったけれど。」 私は柔らかく微笑み、まっすぐな瞳で答えるようにした。 彼女には何を聞かれようと、真摯に答えるつもりだ。「お母様の肖像画を見たわ。 全然姿が違うのね?」「ええ、そうよ。 姿が変わった理由は、私にもわからないけれど。」 カレンはじっと私を見つめ、やがて小さく頷いた。「そっか、言われてみたらそんな気もする。 だってジャスミンは本当のお母様みたいにとても親身になってくれたもの。 それに、毒味をしてくれていたから。」 「そうだったのね。」「うん。 普通ならそこまでしてくれないよね。 ポーラは特別だけど。」「そうね。 ポーラは私の代理として頑張ってくれていたの。 とても感謝しているわ。 ずっと秘密にしていてごめんね。」「ううん、いいの。 お母様の命が一番大切だから。」「ありがとう。」 セオドア様がゆっくりとカレンを見た。「カレン、だからジュリアの姿形が変わっても、彼女を愛してしまう僕をわかってほしい。 どうしても止められなかった。」「お父様は、早くから気づいてたんでしょ
「今、構わないだろうか?」 ジャスミンが顔を上げると、セオドア様が立っていた。「ええ、セオドア様。」 毒に倒れてからまだ日も浅いというのに、彼はすべての後始末を終えたのだろう。 目の下には深いクマが刻まれていて、その疲れ切った様子に、思わず胸が痛んだ。 私はまた彼を心配している。 あの時、毒を飲もうとした私を、彼は止めてくれたけれど、その一方でローレッタを夕食に招いていた。 もしかしたら、彼女と再び関係を持つのではと考えると、胸が締め付けられる。 信じるのはやめようと思うのに、また信じる。 セオドア様に心を揺さぶられ続ける人生に、もううんざりしているはずなのに繰り返す自分に呆れてしまう。 彼は部屋に入り、机のそばの椅子に腰を下ろした。 蝋燭の明かりが、彼の険しい横顔を照らす。「まずは君を狙った犯人だが、すべてワグナーだった。 だからもう安心していい。」「前回もなの?」「ああ、僕が教会に近づくのを阻止するためさ。 ワグナーを捕らえたから、いずれそれを指揮した貴族達も捕えるだろう。」「前回は私が大魔法使いだから、教会と繋がるのを嫌がるのはわかるけれど、今回はただの民だわ。 なのに狙われたのはどうして?」 セオドア様は目を伏せ、小さく息を吐いた。「君を失えば、再び保守派の女性と関わるようになると考えたのだろう。 そんなことあり得ないのに。」「そこまでして、セオドア様が教会と関わるのを嫌う理由はどうしてなの?」「すべては権力と金の流れさ。 ブライトン家はずっと保守派の財源的存在だったんだ。 だが、僕が当主になり、その流れを変えてしまった。 そのせいで保守派は資金不足に陥って、規模を縮小せざるを得なかった。 それが許せないのだろう。 それにターベル公爵の友人で、圧力がかけにくい。 だから、手荒な方法に出たんだと思う。」「そんなことのために、私は二度も命を狙われたの?」 私の声が震えた。 セオドア様はその震えに気づきながらも、真実を話そうと静かに頷く。「残念ながらそうだ。」「ワグナーのことも、私はずっと信じていたわ。」「それは僕も同じだよ。 ワグナーは長年ブライトン侯爵家に仕えてきた忠実な執事だった。 まさか裏で保守派と繋がっていたとは、自分に毒を盛られるまで、気づかなかったよ。」「でも、どうして気づ
「ローレッタ、お待たせしたね。 料理は美味しかったかい?」 客間の扉を開けると、彼女は空になったワイングラスを指で弄んでいた。 蝋燭の灯りがその紅い唇を照らし、少し膨れたように尖らせている。「もう、セオドア様ったら遅いわ。 一人で寂しかった。」「悪かったね。 どうしても君が必要だったんだ。」「まあ、嬉しい。 やっと私とお付き合いしてくれる気になったのね。」 ローレッタは媚びるように笑いながら、白い手を伸ばして僕の袖に触れようとした。 しかし、わずかに身を引き、静かな声で続ける。「悪いが、僕が考えていたのは、君が思っていたのとは少し違うんだ。 僕達が付き合っているように見せることに協力してくれたことは感謝している。 確かワグナーが間に入ったんだよな。」「ええ、そうよ。 ぜひ演じてほしいと言われてね。」「その他に何か聞いていたかい? 例えば、ジュリアがいなくなった後のこととか?」「いいえ、何も。 ワグナーさんは彼女が亡くなってからは、途端に連絡して来なくなったのよ。 私がいくらセオドア様をお慰めしたいって言っても、とり持ってくれなかったわ。」「そうか。 じゃあ、君はキャサリンのことも聞いていなかったのかい?」「誰それ? 私知らないわ。」「そうか、だったらいいんだが、実は僕に新しく好きな女性ができたんだ。 だから、今後、君と個人的に会うことはないだろう。 これは少しだけど、君への感謝の気持ちだよ。 受け取ってくれ。」 僕は淡々と告げ、小箱をテーブルの上に置いた。 ローレッタがそれを開けると、光沢のある宝石と金の装飾品がぎっしりと並んでいる。「ありがとう。 手切れ金ってわけね。」 ローレッタは俯きながら笑い、宝石を一つ指先で転がした。「そう思ってくれてかまわない。」「こんな物よりあなたが欲しかったのに。 だから、ジュリア様が私の邸に来た時、事後を装って追い返したのよ。」「そんなことを?」「ええ、ジュリア様は青ざめて帰って行ったわ。 その後すぐ亡くなって、私も少し反省したわ。 でも、謝らないわよ。 私は恋人のフリをする約束を守っただけだから。 私だってあなたが好きで協力したのよ。」「わかってる。 エントランスまで送るよ。 馬車を待たせている。」「ええ。」 玄関先の夜風に吹かれなが