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4.ジャスミンというナニー

Author: 月山 歩
last update Last Updated: 2025-10-16 14:59:23

「カレン様、こちらの色はいかがですか?」

「ジャスミン、それにする。

 ドレスがとってもかわいい。」

「そうですね。

 カレン様は桃色がお好きですね。」

 窓辺から差し込む午後の日差しが、淡く床に模様を落として、その光の中でカレンとジャスミンが、肩を寄せ合い紙いっぱいに色を重ねていた。

 部屋の奥の椅子に腰かけたセオドアは、その穏やかな光景を静かに見守っていた。

 僕の目に映るのは、無邪気に笑う娘と、それを包み込むような優しい微笑みの女性。

 ジャスミンがこの屋敷に来てから、もうしばらくの時が経ったように感じるほど、カレンはすぐに彼女に懐き、今では朝から晩まで一緒に過ごしている。

 以前はポーラ一人で世話をしていたが、あの頃のカレンはどこか怯えたように静かで、笑うことも少なかった。

 それが今では、クレヨンを握る小さな指先まで、生き生きとしている。

 ジュリアを失ってから、ブライトン邸はいつも重苦しい静けさに包まれていた。

 毒への恐怖が、長く邸を支配していて、警備も固くせざるをえなかったからである。

 その上、働く者には信頼できる貴族の紹介が不可欠だから、人の出入りがほぼなく、最低限の人数のみで、維持されていた。

 けれども、ジャスミンが来てから、その空気に少しずつ色が戻っているようだ。

 彼女は若い女性だが、母のようにとても優しい目でカレンを見ている。

 普通なら、この邸の異様な厳重さを息苦しく感じ、すぐに辞めたいと申し出るが、彼女は違うようだ。

 ジュリアが亡くなってからというもの、ポーラは休暇を一度もとっていなかったが、ジャスミンが毒味役をすると申し出たおかげでポーラは久しぶりに休暇を取っている。

 もしジュリアが生きていたら、こうやってカレンと遊んでいたのだろうか?

 二人の姿は微笑ましいけれど、カレンのために、絶対に気は抜けない。

 あらを探すように見ていると、ジャスミンの所作が普通の民とは違って上品なのが気にかかる。

 王宮で働けるほどの所作ができているのは、何故だろう?

 若い女性でこれができるのは、貴族しかいないと思っていたが、そうではないらしい。

 僕は二人のやり取りを聞きながら、たまらず尋ねた。

「ジャスミン、エスター子爵夫人以外の貴族の邸で働いていたことがあるかい?」

「いいえ、エスター子爵夫人のところだけです。

 その前は、コーツ王国でお店の売り子をしたり、子守りをしたり色々です。」

「そうか。

 その立ち振る舞いは、エスター子爵夫人だけに教わったのか?」

「はい、夫人はとても優しく、礼儀を丁寧に教えてくださいました。」

「もう、パパ。

 ジャスミンとお話し過ぎ。

 今、私と遊んでるの。」

「ああ、そうだったね。

 でも、パパも混ぜてほしいんだ。」

「わかったわ。

 パパはここに素敵な王子様を書いて。」

「わかった。

 ここにだね。」

 僕が真剣な顔で筆を動かすと、カレンが覗き込み、ぷっと吹き出した。

「パパ、それ全然王子様じゃないわ!

 動物みたい。

 ねえ、ジャスミンもそう思うでしょう?」

 二人が顔を見合わせ、くすくす笑う。

「そうですね。

 熊でしょうか?」

「二人共酷いな。

 誰もが憧れる王子様を書いたつもりなのに。」

「全然見えなーい。」

「そうか?

 変だな。」

 カレンの笑顔が、嬉しくなる。

 僕もつられて肩を揺らし、久しぶりに心の底から笑った。

 この子がこんなに自然体で過ごすのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 その光景があまりに温かくて、僕は胸がじんとした。

 以前は固い表情のポーラと二人きりで、静かに過ごしていたが、ジャスミンが現れてから、カレンはよく笑うようになった。

 ジャスミンは笑顔がたえず明るく、前向きだ。

 それが、カレンに伝わって、この邸に少しずつ変化をもたらした。

 だからと言って、ジャスミンをまだ信じきっていないのもあり、カレンと過ごす時は二人きりにはさせず、マーカスかイグナスを必ずつけているが、彼女は彼らからの評価も高い。

 カレンの気持ちを優しく受け止め、甘やかすが、寝る時間などしっかり守らせるところはきちんとしつけているそうで、早くもマーカス達が高く評価している。

 ジャスミンの存在はナニーというより、むしろ母親のようだった。

 それを感じるのか、カレンも思う存分甘えて、夜遅くまで名残惜しそうに袖を掴んで離さない。

 そんなカレンの姿を見かねたワグナーの提案で、彼女の部屋は使用人部屋から、娘の部屋の隣の客室に変更になった。

「セオドア様、こちらでしたか?

 ターベル公爵様がいらしております。」

 カレンの部屋にワグナーが迎えに来た。

「わかった、今行く。」

 応接室に向かうと、長年の友人であるターベル公爵が待っていた。

「やあ、セオドア。」

「急にどうしたんだ?」

「いや、最近めっきりクラブに顔を出さないから、どうしてるかと思ってな。」

「変わりないよ。」

「いや、違うな、顔つきが穏やかになってる。

 女でもできたか?」

「まさか、僕の事情知ってるだろう?」

「わかってるよ。

 だから、余計に気になるんだ。」

「何もないよ。」

「そうかな、俺の勘は女並みに当たるんだよ。

 何か変わったことを言ってみろ。」

「特にないけどな。

 新しいナニーが来たくらいかな。」

「女だろ?」

「女って、ナニーだから、そういう目で見ていないよ。

 むしろイメージはカレンの母親みたいな人なんだ。」

「なるほどな。

 今度会わせてみろよ。」

「変なことに興味を持つやつだな。

 ナニーなんだから、いつでも見ていいよ。」

「わかった。

 今連れて来い。」

「は?

 面倒だな。」

「ちょっと見るだけだよ。」

「わかった。」

 控えているワグナーに促すと、カレンとジャスミンが手を繋いで、応接室に入って来た。

「ターベル公爵様、ご機嫌よう。」

 カレンがカーテシーする横で、ジャスミンが頭を下げる。

「セオドア様、お呼びとのことですが。」

「ああ、こちらはターベル公爵だよ。

 ジャスミンに会いたいそうだ。」

「そうでしたか、初めまして、ターベル公爵様。

 よろしくお願いします。」

「君が新しいナニーか、もういいよ。

 戻っていい。」

「はい、わかりました。」

 カレンとジャスミンは顔を見合わせた後、再び手を繋ぎ、部屋を後にした。

 二人を見送ると、ターベル公爵が意味ありげに笑った。

「もう、あれ、完全に親子だな。

 セオドアも思ってるんだろ?」

「確かにそう見えるな。」

 僕は少し息を吐き、視線を窓に向けた。

 ジャスミンはナニーらしく簡素なワンピース姿だけど、カレンと向き合った時の二人の視線は、何故か目に見えない繋がりを感じさせた。

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